session008
一宮町にはサーファーとしてだけでなく
自身の得意分野で広く活躍している人が数多く暮らしています。
今回はそんなサーファー×違う分野でもご活躍の
4名の方々にお話を伺いました。
ほしみや 星野さん:はじめまして。生まれ育ちは新潟県ですが23歳の時に茅ヶ崎に引っ越してそこでサーフィンに出会い、その3年後には一宮に越してきました。JPSA(一般社団法人日本プロサーフィン連盟)のロングボードのプロ資格を取得してプロとして活動していたのですが、結婚を機に仕事を変えようと思い、この5︎月から商店街で創作料理「ほしみや」という居酒屋をオープンしました。今日はよろしくお願いします。
OCEANS江部さん:はじめまして。生まれも育ちも東京で今も東京暮らしなのですが、高校生の時にサーフィンを始めてその頃から千葉の海に来ていました。2012年に友人と一宮に部屋をシェアして借りるようになって、それからはほぼ毎週末こちらに来ています。仕事はメンズファッション誌「OCEANS」の副編集長を務めています。よろしくお願いします。
波乗不動産 佐々木さん:僕は社会人になってから知人に誘われてまずは湘南でデビューしました。その時は波に全然乗れずに挫折したのですが(笑)千葉に来てみたら波が豊富で人も少なく乗りやすかったので、今から15年前の話ですが「なんだココは!」みたいなカルチャーショックで、一瞬で魅了されました。最初は知人3〜5人くらいで狭い部屋をシェアして借りて通っていたのですが、その後移住して10年前には「波乗不動産」という不動産会社を立ち上げ、地元に根ざした仕事と暮らしをしています。よろしくお願いします。
NAKISURFナキさん:サーフィンを始めたのは鎌倉ですが、アメリカでプロサーファーとして試合に出るようになり、28歳でグリーンカード(永住権)を取得して移住。ハワイのカウアイ島やカリフォルニアに住んで、サーフボードなどを輸入販売する「NAKISURF」というショップを運営しています。もともと東京に店を出していたんですけど、お店のスタッフが週に一回しか波乗りに行けないというのがあって、「じゃあ好きな場所でお店をやろう」ということで、一宮町を選びました。
仕事はそれ以外にもフォトグラファーだったり、3誌にコラムを書いていますのでルポライターであったり、絵描きもするのでアーティストって感じでもあったり。とにかくサーフィンが大好きで大ファンなので、18歳から初めて33年、ほぼ毎日サーフィンをして、サーフィンの夢を見ながら生活しています。今日はよろしくお願いします。
「大いなる人生の無駄」は「人生の豊かさ」
OCEANS江部さん:ナキさんを見てると、本当にサーフィン愛に溢れていて、作品にもそれがにじみ出ているなと感じます。東京で個展も開催されてますけど、フォトフレームとかにも拘ってますよね?
NAKISURFナキさん:そうですね。サーフボードを作る時に、大量に捨てられる削り樹脂をなんとかできないかという想いから始まった、余り物を使った「アップサイクル・アート」なんです。サーフボードの素材だけで創ったものや、旅先で見つけた羽やアクセサリーをフレームに入れ込んだもの。いずれも量産ではなく、一点物の作品として大事に作っています。廃棄樹脂は一宮のボード製作会社に分けてもらっていて、一宮でのつながりで作品作りが出来ているのも嬉しいですね。
波乗不動産 佐々木さん:サーフィンとアートの融合と言うか、まさに、NAKIさんの生き方そのものですね!江部さんは、ファッションとサーフィンという業界で仕事されてますけど、キッカケとかは何だったんですか?
OCEANS江部さん:今も昔もそうだと思うんですが、若いうちに遊んでいると、自然に洋服も好きになっていくじゃないですか。で、僕がサーフィンを始めた高校生の時は、東京の遊びって、クラブに行くヤツもいれば、スケボーするヤツもいたりする中の一つの選択肢にサーフィンがあって。でも全然上手くならなくて、上手くならないから街で遊んでる方が楽しくなって、サーフィンをやらなくなっちゃって(笑)
波乗不動産 佐々木さん:わかります。全然上手くならないですよね。何で?!ってくらい上手くならない。笑
OCEANS江部さん:しばらくサーフィンから離れていた21歳頃、サーフィン映画「エンドレス・サマー2」を観ちゃったんです。出演していたロングボーダーがとてもカッコよくて、数日後にその当時持っていたハイブランド物のレアなリュックをネット掲示板で売却して、そのお金を握りしめてロングボードを買いに行きました(笑)そこからはどっぷりサーフィンにハマって。